10年近く前になりますが、交際していた男性のことで悩んでいた時に、知人が占いの先生を紹介してくれました。
御嶽教富士神誠教会は隣の富士宮市で、車で一時間くらいかかりますが誰かに相談したい一心でお願いすることにしました。
今思えば、宗教団体なんですよね。
当時は若かったのもあるし、自分が無宗教で関心がなかったので全く分かりませんでした。
普通のお寺のようなところで占いをやってくれる女性がいる、そんな話を聞いたのですが、予約などはなく当日確認すると聞きました。
引用:電話占いジャーナル
外出などで不在の時は受けられない、という事だと思います。
当日に電話をして占いの件を伝えると大丈夫だったので向かいました。
若干派手な感じもしましたが、畳の広い部屋に通されて私と彼の生年月日と名前を聞かれました。
話を振られたので、今の状況などを話して今後の不安を伝えました。
先生は見た目はごく普通の中年女性という感じで、愛想がいい訳ではないけれど態度が悪い訳でもない感じでした。
その時は悩みを人に話すことで、自分の不安があふれて涙が出たり感情が不安定だったので占いに関して何か思った訳ではありませんでしたが、帰り道に落ち着いて考えてみたら、私の表情や言葉からアドバイスをしただけで特別占いをしてもらった感じはしない、という感想でした。
バツ1で子供がいたので、子供がいる事は話しましたが、「男の子でしょう、見えますよ。お母さんが好きな優しい子です。」と言われ、当たっている!と驚きましたが、それも考えてみれば会話から感じたのかな、と思いました。
彼との今後や再婚についての話の中で「子供に関すること」は一切話さなかったので、私と子供の間に問題がないことは会話から分かるだろう、と。
男女の件も、何気ない会話から分かったのかな、と思ったりもしました。
私が悩みを明るい兆しを見せずに涙で話したので、そんな人を目の前にしたら、上手くいかない、と誰でも判断するかなと後になればなるほど思いました。
一番気まずいのは帰りでした。
あらかじめ知人から、料金は後ろの棚に納めて帰る、金額は決まっていない、と聞いていました。
金額が決まっていない、と聞くとある程度分別のある人間はそれなりの金額を払うと思います。
あいまいな料金設定に困りましたが、最初から5000円を用意していたのでそれを納めました。
納める棚のカゴのようなところには、立派なご祝儀袋が置いてあり、先客が置いていったのか、ここに納めますと分かるように見本のような意味合いで置かれているのか分かりませんが、プレッシャーだったしいい気分ではありませんでした。
占いの先生も後ろからこちらを伺っているような視線を感じたので、あの方法なら決められた金額を直接先生に渡す方がよっぽどいいと思いました。
後で宗教団体だったと知り、お金のあたりはそれっぽい感じだったな、と思いました。
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